【院長】河合塾麹町校と三鷹・栄光寮【浪人時代】

【院長】河合塾麹町校と三鷹・栄光寮【浪人時代】

山形県寒河江市の整形外科 おやま整形外科クリニックの院長ブログ

今回は院長である小山翔平の浪人時代の思い出の記事になります。ご興味のある方のみご覧ください(笑)

進学先は河合塾麹町校です!

河合塾麹町校


中学校の時の度重なる怪我と1度手術した経験からなんとなく医師を志していた私ですが、高校時代はあまり勉強していなかったためもちろん大学受験は失敗しました。当時は弘前大学と山梨大学を受験しましたが、ほぼ記念受験のようなもので受かる気は一切しませんでしたが一応受験してみました。結果的には当然のように不合格で、高校の卒業式の時には「進学先は河合塾です!」と浪人が決まったみんなで馬鹿な話をしていたのを覚えています(笑)

そして、すでに上京していた兄を頼り東京に出て、医学部受験専門予備校である河合塾麹町校に入塾しました。授業に先立って下宿先の三鷹につくと、全国各地から多くの浪人生が集まっており、初めての夕食で顔を合わせたときは緊張したのを覚えています。その下宿先は栄光寮という名前で、閑静な住宅街である三鷹にあり井の頭公園に近く非常に住みやすい場所でした。

河合塾麴町校

河合塾麹町校では「受験勉強」というものを始めて教えてもらった気がします。

高校の授業を悪く言うわけではありませんが、高校は”受験勉強”というよりも”授業”という感じであり、「予習第一主義」のもと膨大な量の宿題に追われていました。部活動も行っていた私は、早々に宿題をこなすことをあきらめ、ほとんど宿題を行った記憶はありません(笑)そして、予習ができない分、授業にもついていけず、授業後の復習もできないという”負のスパイラル”に陥ってしまっていました(笑)ありがたいことに、私の高校には赤点や留年という制度が存在しておらず、成績が悪くとも進級させていただけたことには感謝の念に堪えません(笑)このカリキュラムは、この課題をこなすことのできる優秀な生徒には非常にあっていると思いますし、実際にそのカリキュラムをこなして現役で難関校に合格した同級生はいっぱいいました。しかし、僕の様な下級戦士にはこのスタイルはあいませんでした。

河合塾麴町校で初めて授業を受けたときは衝撃的でした。そもそも授業というものが面白いのです。講師の先生方は人気講師とならなければクビになるリスクもあり、授業をわかりやすく・面白くすることに常に気を使っているようでした。参考書などを出している有名講師の先生方もおおく、生まれて初めて勉強が面白いと思えました。また、高校時代の予習第一主義ではなく、どちらかと言えば復習に重きを置き、暗記(記憶の固定)にも重点を置いておりました。「予習は軽めで、授業で理解し、復習で記憶を固定する」ということを意識するように指導していただき、自分の中で勉強を進めるうちに「理解が暗記を助け、暗記が理解を加速する」という感覚に至ったことを覚えています。

これ以外にも受験の先輩である兄に勉強の方法を教えてもらいに、兄の下宿先の下北沢にもよく通いました。「蛍光ペンは単色で使用せず複数の色を使用し、各色に対する意味付けをもって理解を助けなさい」「間違った問題、正解しても理解できていない問題は、”要復習マーク”をつけて完全に解けるまで何度も解きなさい」など、勉強の方法を教えてもらい、素直にそれを実践した思い出があり、またその勉強方法は今も継続して実践しております。

このように浪人時代は効率的な勉強方法を学ぶことから始め、「暗記と理解を繰り返す」ということを意識していました。そのかいあって、無事1年間で日本大学の医学部に合格できました。

浪人時代の友人

井の頭公園


浪人時代の友人達とは、一緒に勉強しただけではなく、みんなでラジオ体操をしたり、寮の近くの井の頭公園に散歩しに行ったりと様々な思い出があります。

もちろん塾の自習室でも一緒に勉強しましたが、寮に帰れば全員が個室で一緒に勉強することはできません。ですので、こっそりと寮を抜け出し、近くのファミリーレストラン(バーミヤン)でドリンクバーを頼みながら深夜まで勉強したりしていました。帰り道に、深夜まで開いている本屋さんに寄ったり、夜の三鷹を散歩したのもいい思い出です(笑)

また、ある友人の部屋からは緊急避難用のはしごを利用して寮の屋上に上がることができました。そのはしごをつかってみんなで屋上に上がってはラジオ体操をするのも日課で、勉強ばかりの毎日の息抜きになっていました。

さらに、寮の比較的近くにあった井の頭公園には何度も足を運びました。勉強ばかりの僕達浪人生には、高校生や大学生のカップルが公園でデートしているのが非常にまぶしかった思い出があります(笑)GTO という不良教師漫画の舞台となっていた吉祥寺の街が近く、田舎から出てきた私には非常に刺激的でした(笑)

このように、勉強を中心に様々な思い出を共有した浪人時代の友人達とは別々の大学に進学し離れ離れになりましたが、学生時代も定期的に飲み会を開いて集まったり、医師になってからもお互いの結婚式に仲間を呼びあったりと今も仲良く交流させてもらい、医師としての情報交換をさせていただいております。

靖国神社と武道館

日本武道館


河合塾麴町校は市ヶ谷駅の近くにありました。その市ヶ谷駅からほど近くに靖国神社があり、さらに足を延ばすと日本武道館があります。ですので、授業の合間などで疲れたときや、昼ご飯を食べすぎて眠い時、夜勉強に煮詰まったときなどは、たまにそちらの方面に散歩にいったものでした。

日本史選択だった私にとって、以前から靖国神社には興味がありました。神社そのものの雰囲気や春の桜祭りの明るい賑わいなども大好きですが、初めて遊就館を拝観した時は涙が止まりませんでした。

また、高校時代から米米CLUBと爆風スランプが好きになってしまった私は、浪人時代もただひたすらに爆風スランプの SINGLS というアルバムを聞きながら勉強していました。その中にある「大きなタマネギの下で」という歌にでてくる九段下や千鳥ヶ淵、そして日本武道館にいってみたいと常々思っていたところ、塾のすぐ近くにその地があると知り足を運んでみました。そこには、都心の高層ビルが立ち並びつつ、皇居周辺のお濠や石垣がそびえており、洗練された都会の雰囲気と江戸のお城の雰囲気が織り交ざる非常に美しい土地でした。そして、日本武道館の大きなタマネギをみては塾まで戻るという散歩で気分転換を繰り返しておりました。この散歩は本当に思い出深く、学生時代も医師になってからも何度も足を運んでおります。

靖国神社


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今回は院長の浪人時代について綴りました。浪人時代も多くの友人に恵まれました。助け合いながら苦しい1年間の勉強生活を共にした友人に感謝です。