院長紹介

院長紹介

山形県寒河江市の整形外科おやま整形外科クリニック・院長からのお礼と挨拶

山形県のおやま整形外科クリニックの小山翔平印象

小山翔平院長


はじめまして!おやま整形外科クリニック 院長の小山 翔平(おやま しょうへい)と申します。この記事をご覧いただきありがとうございます!

私たちおやま整形外科クリニックは、月山をはじめとする雄大な山々と、寒河江川・最上川の豊かな水の流れに囲まれた自然あふれる山形県寒河江市に 2021年10月に開業させていただくこととなりました。

私は2013年に医師国家試験に合格し、同年より山形県立中央病院で医師人生をスタートさせました。2016年からは母校である日本大学医学部の医局を中心に整形外科の研修・研鑽に励み、2020年1月に整形外科医師として一人前と認められる専門医試験にも合格しました。そして、まだまだ若輩者ではありますが地元での活動を志して行動し続け、いくつもの貴重なご縁を頂戴し、開業という寒河江の地に深く根を下ろすかたちで仕事をさせていただくこととなりました。私自身が医師として日々心掛けておりますのは

「多くの患者様とそのご家族様が健康で安心して生活できるような整形外科医療・リハビリテーションに尽力する」

ということです。また、現在の整形外科は営業時間や待ち時間に大きな問題を抱えております。首や肩のこり・手のしびれ・股関節や膝関節の痛みなどで悩んでいらっしゃっても、いざ整形外科に受診される方はどれほどいらっしゃいますでしょうか?よほどの痛みなどを伴なわない限りは

「クリニックは待ち時間が長すぎる」

「診察終了時間が早くて、仕事後に受診できない」

「医者の話しは難しくててよくわからない」

などの理由で敬遠される方も多いと思います。実際、私自身もそう思わされたことが何度もあります。社会人になってからは「受付時間が短くて仕事後に受診できない」「待ち時間が分からないので気軽に行けない」などの理由で、病院・クリニックには簡単に受診できませんでしたし、また「会計」についてもよくわからないところがありました。私が受診したとあるクリニックでは、必要ではないと思われる検査がどんどんと行われ、会計の時には3割負担でも1万円を超えるようなお支払となっていたこともあります。これには私も一患者として驚いたことがあります。このように医療業界は情報が閉鎖されており、気軽に受診できる環境ではないと思います。当院ではそれを是正するために、

  • 院長である私自身がノウハウを学び、スタッフとともに作り上げたホームページによる疾患説明・治療費の概要説明などの情報発信
  • これまで出会ってきた医師や動画クリエイターの仲間とお送りする YouTube
  • 「LINE を通した予約システム」「ホームページやLINEによる待ち時間確認、待ち時間削減」

などで、医療の情報をあらゆる角度からお届けし、地域の皆様の治療に対する理解を深め、可能な限り明朗会計で、心から安心して通院できるクリニックを作り上げたいと思っております。

この理想を共有できる素晴らしいスタッフに恵まれることもできました。寒河江を始め県内各地から優秀なスタッフが集まってくれておりますし、縁あって県外からきてくれたスタッフもおります。また小学校・中学校の同級生もクリニックの活動に参加してくれています。このように、県内外からの新しいご縁で集まってくれたスタッフや、寒河江の街でずっと仲の良かった友人達と一からクリニックを築き上げていく。これ以上の幸せはありません。これから全身全霊で寒河江での医療活動に貢献してまいりますので、何卒宜しくお願い致します。

寒河江での生立ち

私は山形県寒河江市の出身です。高校を卒業するまではずっと地元の寒河江市で過ごしておりました。

小学校3年生からは姉と兄の影響を受けてバスケットボールをはじめました。寒河江での厳しい練習を糧にすることで、医師となってからの過酷な診療業務・当直業務などもしっかりと乗り越えることができました。また、バスケットボールを通して得た多くの友人はかけがえのない宝物です。

医師を志す

中学3年生の5月に肩を骨折し、寒河江市立病院で手術していただいた経験もあって医師という職業にあこがれを抱きました。そのため、大学受験では医学部を志しましたが、バスケットボールを中心に高校生活を送っていたところ高校時代の成績は低迷し、学年にいる理系の生徒 120人中 100番前後をウロウロする日々を過ごしておりました。

結果的に現役時は受験に失敗し、浪人することとなって初めて寒河江を離れることとなりました。そして、すでに上京していた兄を頼り東京に出て、医学部受験専門予備校である河合塾麹町校に入塾し、そこでもかけがえのない仲間ができました。浪人時代の友人達とは塾や寮で一緒に勉強したり、みんなでラジオ体操をしたり、寮の近くの井の頭公園に散歩しに行ったりしました。別々の大学に進学し離れ離れになりましたが、その後も飲み会を開いたりお互いの結婚式に仲間を呼びあったりと仲良く交流し続け、医師としての情報交換をさせていただいております。

そんなつらくも楽しい浪人時代を過ごした後、無事に日本大学医学部に合格することができました。引き続き東京生活を送ることになった私ですが、「東京の大学生」という一般的にイメージするキャンパスライフは一切送らず、ただひたすらにバスケットに打ち込む日々を送りました。小中高とバスケットを頑張ってきたつもりの私ですが、大学生になり初めて心からバスケットが楽しいと思えるようになったのです。関東という土地柄、バスケットを通して多くの医大生との交流も深まり、東京大学・慶応大学・日本医科大学・東邦大学など定期的に練習試合をするライバル校のメンバーとは、医師になった現在は一緒に合同チームをつくり試合に参加させてもらっております。そんなメンバーと集まれる年に1度の大会が、今も楽しみで仕方ありません。

このようにバスケット中心の大学生活を送りつつ、大学時代はしっかりと勉強にも取組んでおりました。なにしろ、私立医学部の学費は非常に高額なため留年は言語道断。山形県から奨学金も借りながら勉強していた私はしっかりと勉強しなければなりませんでした。「留年できない!」というプレッシャーのおかげで6年間で追試は1つだけで済むことができ、国家試験も問題なく合格できました。

山形に戻って

医師国家試験に合格した 2013年からは、山形での医療を志し山形県立中央病院で初期研修を行わせていただきました。山形大学や東北大学を中心に研修医が集まっており、真面目で優秀な同期に囲まれ、つらくも楽しい研修生活を送らせていただきました。

そんな県立中央病院での研修生活をはじめて感じることがありました。それは「医療業界はまだまだ IT化がすすんでいない」ということです。病院のホームページはいまだにパソコン用にしか対応しておらず、スマートフォン用に最適化されていません。支払いも現金のみで、薬手帳もアナログのまま。この点に疑問をいただきながらも、サクランボ作業・米作り・雪かきなどで足腰を痛めた患者様を日々診察させていただいておりました。

再度、東京へ

整形外科専門医をとるにあたって、お世話になる大学を選択する必要性に迫られました。専門医制度のシステム上、何処かの大学の医局にお世話になる必要がありました。山形大学の整形外科の先生方には非常によくお世話になりましたし、「ただ整形外科専門医にればいい」と考えれば山形大学の整形外科の医局様ほどよい環境はなかったと思います。しかし、私の中ではどうしても「IT を駆使した医療を提供したい」という気持ちを抑えることができず、「優秀なエンジニアに出会いたい!」という一心で東京に戻ることを決意しました。そして、2016年に”整形外科専門医取得”と”エンジニアの仲間探し”のために東京へいき、出身大学である日本大学整形外科の医局に入局させていただきました。

整形外科専門医を目指して

日本大学の医学部では、当時の教授であった徳橋先生のご指導のもと、非常に楽しい研修を行うことができました。徳橋先生が執刀される脊椎の手術にも何度も立ち会わせていただき、頸椎の病気による手のしびれや動かしづらさなどの症状が改善していく姿、腰椎の病気により歩く時間が短い方が長い時間歩くことができるようになる場面を拝見し、手術の素晴らしさを学びました。

また、日大の得意分野である人工関節手術(膝関節・股関節)も洗練されており、関節グループの治療にも感銘を受けました。これまで見てきた以上に非常に正確な手技でありながらも手術時間は短く、一流の手術を体験させてもらいました。股関節が痛くて動けない患者様・膝が曲がってしまって歩けない患者様が、手術後に足が奇麗に伸びて、痛みなく歩く姿に感動を覚えました。その後、先生方のご指導もあり、私自身も人工関節の手術を行わせていただくようになりました。

さらに、スポーツの分野でも現在亀田総合病院で活躍されている加藤有紀先生にご指導いただき、前十字靭帯損傷や半月板損傷の患者様の手術にも何例も立ち会わせていただきました。とことんストイックに手術を追求する加藤先生の姿勢は今も忘れることができません。

最後に、日大板橋病院では骨軟部腫瘍の患者様を拝見することも多く、整形外科の中でも命の尊さを学ばせていただくことができました。

大学病院以外では、特に春日部市立医療センターを中心に活動させていただき、主に骨折などの外傷に対する診療活動に従事させていただきました。そのように整形外科全体について、日本大学の医局の中でしっかりと学ばせていただき、2020年3月に無事に整形外科専門医を取得することができました。

骨粗鬆症への取り組み

自分が主治医として骨折の患者様に数多く対応し、1年間で200件以上の骨折の手術を行ってからというもの、骨粗鬆症について興味を抱き始めました。といいますのも、ご年配の方々やご出産後の女性の方々は自分が気付かないところで骨粗鬆症が進行しており、骨折しやすくなっているにもかかわらずその現実を知らずに過ごしている方が多くいらっしゃったのです。骨折後に骨密度検査を行い、自分の骨が非常に弱くなっていたことを初めて知る患者様があとを絶ちませんでした。本来、骨折してから治療するのでは遅くなるのが骨粗鬆症という病気です。骨粗鬆症に対する周知活動・予防医療を行い、このように骨折されてから初めて「自分は骨粗鬆症なんだ…」と知る患者様を一人でも減らし、大怪我である骨折につながるリスクを少しでも減らしたいと考えるに至りました。この骨粗鬆症に対する取り組みが開業医としての私の使命だと思っております。

リハビリへの思い

私自身、小学校時代には”成長痛”が強く練習を休むことが多くありました。また、先ほども申しあげた通り中学3年生の時に”肩を骨折”し、手術は寒河江市立病院で行っていただきました。さらに、高校時代・大学時代と練習量に身体が追い付かず、”ジャンパーズニー・シンスプリント”などでプレーに支障がでることが多くありました。その時に身近にリハビリができる環境がなく、可能な範囲でセルフケアを行いながら様子をみておりました。

そして、祖父が”パーキンソン病”を患い、家の中でよく転倒していたことも思い出されます。パーキンソン病は転びやすくなる典型的なご病気ですが、地域の皆様の中には”腰・股関節・膝などの病気や怪我”で歩きづらくなったり、転びやすくなったりしている患者さんは多くいらっしゃることと思います。そのような患者様の日常生活をより健康的にしていただき、ご一緒に暮らすご家族様の負担も減らすことのできるような環境こそが、高齢化社会を向かえた日本や山形、ひいては寒河江に必要であると考えます。

このように、オーバーワークや怪我に悩むスポーツ選手、怪我や病気で体力が弱っているご高齢の方々をはじめ、さがえ西村山を中心に山形の皆様の健康的な身体づくりの一助となれればと思い、特にリハビリに力を入れたクリニックを作りたいと強く思っております。

エンジニアとの出会い

今までお伝えしてきたように、整形外科の医師としての信念を抱きながら日中の勤務や夜の当直業務をこなす日々を送りつつ、エンジニアに出会うための作戦を立てていました。まずは、エンジニアの方々とある程度共通の話題をもてるように、独学で ”HTML、CCS” というプログラミング言語を学んでみました。その上で、夜な夜な東京の街で開催されるエンジニアの勉強会などに参加して徐々にエンジニアの友人ができはじめ、そのエンジニアの友人たちから2人の非常に優秀なエンジニアを紹介してもらうことができました。そんな天才エンジニアのお二人とは、仕事をご一緒しながら信頼関係を深め交流を続けています。今後のクリニック運営にもご協力していただく予定です。

そして、寒河江へ

このように、30歳前後の5年間を東京や埼玉を中心に過ごし、身に着けるべき知識と技術を習得し、出会うべき仲間にも恵まれ、再度寒河江の地に戻ることを決意いたしました。そして、地元の地で整形外科のクリニックを開業する道を選ばせていただきました。子供の頃、トンボやイナゴをとったり、ドジョウをすくったり、蛍をみていたしていた田んぼであった土地に自分の職場を作らせていただくのは非常に感慨深いものがあります。そんな思い入れのある土地で、地域の皆様に愛され、元気で笑顔あふれるクリニックになるように邁進していく所存です。

院長である私や当院のスタッフはもちろん、患者様もそのご家族様も、当院に関わってくださる全ての方に健康的で幸せな生活が送れるようお手伝いができれば最高です。

全ては地域の皆さまの健康のために。

1人1人の患者様が元気になることで、寒河江市も山形県も元気になることができると思います。これからのおやま整形外科クリニックの活躍にご期待ください。長文・駄文となり失礼しました。ご一読くださり、ありがとうございました。

院長紹介

院長整形外科専門医
氏名小山翔平(おやましょうへい)
出身地山形県寒河江市
資格日本整形外科学会認定専門医

院長の経歴

2000年寒河江市立西根小学校 卒業
2003年寒河江市立陵東中学校 卒業
(バスケットボール…中学3年時:山形県大会優勝)
2006年山形県立山形東高等学校 卒業
(バスケットボール…高校3年時:山形県大会ベスト8)
2007年日本大学医学部医学科入学
(バスケットボール…大学4年時:東日本医科学生体育大会第3位、優秀選手賞受賞)
2013年日本大学医学部医学科 卒業
山形県立中央病院 初期研修 開始
(バスケットボール…関東の大学時代の友人たちと「87ers」結成)
2015年山形県立中央病院 初期研修 修了
山形県立中央病院 整形外科専門研修
2016年日本大学医学部 整形外科入局
日本大学医学部附属板橋病院勤務
2017年春日部市立医療センター勤務
2018年合同会社 Medivery 創業
2018年

2019年
・小張総合病院(千葉県野田市)
・さいたま記念病院(埼玉県さいたま市)
・苑田第一病院(東京都足立区)
・柏厚生総合病院(千葉県柏市)
 などで整形外科研修・夜間救急当直業務に従事。
(バスケットボール…「87ers」にて 2019年日本医師バスケットボール大会優勝)
2020年整形外科専門医 取得
医局の先輩が院長である「いしがみ整形外科クリニック」で”クリニック診療”を勉強
2021年おやま整形外科クリニック開院

院長の趣味

  • バスケットボール
  • 筋トレ
  • 樹木鑑賞(盆栽にチャレンジしたいです)
  • 錦鯉鑑賞・飼育
  • 熱帯魚鑑賞・飼育

院長の資格 / 受賞歴

  • 2013年: 医師免許 取得
  • 2017年: 関東整形災害外科学会 月例会 第684回 整形外科集談会 東京地方会 優秀発表演題賞 受賞
  • 2019年: 整形外科専門医 取得

院長の原著論文

1, 銃創により胸髄不全損傷を生じた1例

小山 翔平(日本大学 医学部整形外科学系整形外科学分野), 上井 浩, 相馬 大鋭, 間世田 優文, 中橋 昌弘, 澤田 浩克, 中山 渕志, 徳橋 泰明

関東整形災害外科学会雑誌 (0389-7087)50巻5号 Page308-311(2019.10)

2, 脊椎骨端異形成症に伴う両側変形性膝関節症に対して両側同時TKAを施行した1例

小山 翔平(日本大学医学部附属板橋病院 整形外科), 齋藤 修, 穂坂 邦大, 大山 輝康

JOSKAS (1884-8842)42巻4号 Page743(2017.05)

3, 橈骨動脈アプローチでの経皮的冠動脈形成術後に生じた前腕コンパートメント症候群の1例

小山 翔平(山形県立中央病院 整形外科), 朝比奈 一三, 大利 昌宏, 石川 朗, 江藤 淳, 赤羽 武, 根本 信仁

東北整形災害外科学会雑誌 (1348-8694)59巻1号 Page155-158(2016.06)

4, 血性胸水貯留をきたした迷走神経発生神経鞘腫の1例

小山 翔平(山形県立中央病院), 片平 真人, 柳川 直樹, 安孫子 正美, 佐藤 佳, 塩野 知志

胸部外科 (0021-5252)68巻13号 Page1107-1109(2015.12)

5, HEPATOCELLULAR CARCINOMA SHOWING A SPOKE-WHEEL PATTERN SIMILAR TO THAT IN FOCAL NODULAR HYPERPLASIA

Oyama Shohei(Nihon University School of Medicine), Nakayama Hisashi, Takayama Tadatoshi, Higaki Tokio, Kajiwara Takahiro, Hosaka Atsuko, Nakashima Yosuke, Nakamura Hitomi, Matsuoka Shunichi, Moriyama Mitsuhiko, Sugitani Masahiko

Source: The Nihon University Journal of Medicine (0546-0352)54巻1号 Page17-23(2012.12)